茶道と畳
 畳の語源は、「衣食住語源辞典」によると、「畳薦(たたみこも)」の略で、タタミは古代、ムシロやコモ、毛皮など、重ねて敷いたものすべてを言い、後世になってそれが藁芯の一つのものに作られるようになっても、タタミの語を踏襲した」とあります。タタ(手々)は手を使って同じ動作を繰り返す、何回も重ねて敷く、という意味を持っていて、「万葉集」や「古事記」にも見ることが出来ます。

 日本で古くから使われていたのは、アシ・カヤ・イグサなど、自然の植物を利用した「むしろ」だったと思われ、中でもイグサはずば抜けてすべすべした肌ざわりだったので特に好まれ、最初は水辺に自然に生えるものを使っていましたが、やがて稲と同じように栽培されるようになりました。イグサの敷物は、始めは貴族だけのもので、次第に一般の人々の暮らしの中にも広がり、これは現在「ござ」と呼ばれているものです。「ござ」とは「御座」のことであり、天から降りてくる神を迎えるために広げた敷物を指し、イグサで作った敷物が、他のどれよりも美しく爽やかであったため、神の坐る場所に相応しいと考えられたようです。

 茶室において基本となる四畳半は、慈照寺にある東求堂の同仁斎であり、中世の書院造り四畳半の起こりとされて茶室史の上からも注目されていますが、その後、武野紹鴎や千利休により草案の茶が推し進められ、炉の大きさは京畳の寸法に合う台子上の一尺四寸四方の風炉の座から取られました。

 「南方録」には「六尺三寸の畳の内、台子の幅一尺四寸と屏風の厚み一寸とを欠いて除け、一尺四寸四方の風炉の座を右の畳に出して炉を切った。一枚畳の内、台子の畳目分切り除けたので、台目畳という」とあります。京間畳の台目畳は、六尺三寸から一尺五寸を除いた四尺八寸の長さの畳を台目畳と呼び、通常では、畳四分の一だけ切り取ったものを使っています。この「台目」とは、田一町につき、その収穫の四分の一を税として引き去ることを「代目」といったことからも、そう呼ばれているようです。


京間畳の短手の目数は縁内64目です。大和の国六十四州を象ったといわれています。畳表の目の幅の一部が畳縁の下に隠れたものを「半目」または「小切目」、全部現れているものを「丸目」または「大切目」と呼んでいます。利休の茶の心に思いを馳せるとき、その舞台がどうしても「丸目の京畳」でなくてはならないことに気付きます。道具を置くときに畳の目数を目安としますが、正確な丸目畳であれば「端の切れた畳目は数えるのか、数えないのか」などという疑問は起こりようもないはずであります。

 茶道において専門家であっても、この「丸目」を疎かにしがちであることは、残念な事であると思います。

 多くの日本文化に畳は欠くことのできないもので、正座して畳の上での礼儀作法や、直に置かれた茶碗などから茶を頂くなど、それが「畳」であれば、まったく抵抗は感じられなく、また畳と体との「すれ」により生まれる音によって、水屋にいる亭主は、茶室内の動きを捉え、空気を読み取ります。これなども畳文化の精神の表れでもあると思います。

 茶道を始めとする数々の日本の伝統文化が畳の上で生まれ、脈々と現在なお大切に守り続けられている原点となった「畳」、とりわけ「京畳」の持つ重要性に、今一度目を向けて頂きたいと思います。
                                                         (識)




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